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国土交通省山形工事事務所 季刊誌『UZEN』 vol.20 2002/01/15 『創刊20号記念対談 株式会社クラフト取締役結城玲子×山形工事事務所長 後藤貞二 』

 環境施設の設計制作会社「クラフト」取締役デザイン設計室長として、環境デザイナーとして山形市を拠点に活躍する結城玲子さん。
1997年、ある新聞に掲載されたコラムは、みちづくりや地域づくりをテーマに、六回の連載を数えました。以来、さまざまなメディアへの寄稿、NPO(民間非営利団体)活動などを通して景観の価値を提言しつづけています。U-zen創刊20号を記念して、結城さんと後藤貞二山形工事事務所所長に川づくりやみちづくり、山形の未来などについてざっくばらんに語っていただきました。

文化財としての建造物は、山形の個性の一つ。

後藤お生まれは山形市内ということですが、東京での生活も長いとお聞きしました。
結城大学に入学して以降、しばらくは東京で生活していました。ベースはあくまで東京で、山形と東京を行ったり来たりするような感じでしたね。
後藤どちらの環境が好きでしたか?
結城比較はできないですね。どちらも大好きですから。ただ当時、山形を客観的に見ていて、だんだん自分の中の山形に対するイメージが現実とずれてきているなという思いはありました。
後藤例えばそれはどういうことですか?
結城どんな地域にも個性がありますよね。もちろん山形にもあるわけですが、それが少しずつ失われつつあるように感じたんです。中途半端に都会化してる雰囲気が、もうちがうのではないかと。もちろん、メリットもあるとは思うのですが…。
後藤ひょっとして、山形の没個性化に対する不安が、「やまがたレトロ館絵地図」の制作につながったのでしょうか。

敷地内で水を浄化させて循環させています。

後藤結城さんは、川で遊んだりしました?
結城ええ。でも私は静的な遊び方が主でしたね。例えば河原の石の間に咲いている花を眺めたり、季節を感じてみたり。後藤所長はいかがでした?
後藤私は体を動かす方でした。魚釣りをしたり網を持って魚とりをしたり、河原の木々によじのぼったり、そこら中を走り回ったりしてました。でも、本当は、立ち止まって周囲を眺めることも大事なことなんですよね。
結城やはり水辺には、人間をほっとさせてくれる雰囲気があるんじゃないでしょうか。
後藤同感です。川といえば、県民の母なる川、最上川。結城さんはどんな印象をお持ちですか?
結城とうとうと流れていますよね。その流れに歴史の重みを感じます。かつてこの川を、舟が米を積んで通ったんだって、つい思いを馳せてみたりしますね。非常に表情のある川だと思います。
後藤最上川は日本三大急流の一つと言われているんですが、場所によってはゆったりと流れているように見えたり、おっしゃる通り実に表情が豊かですね。水量が多いから、速さを感じさせない場所もあるんです。
結城でも、そんな山形を代表する川なのに、水の汚れがとても気になります。
後藤私どもでもパトロールを強化したり、常に監視しているのですが、やはり完全には排除できない状態です。
結城行政だけでなく、県民一人ひとりが自覚を持たないといけないでしょう。私たちの世代は良いかもしれませんが、汚染を後世に残しては死ねない。誰かがやってくれるだろうなんてのんびり構えてる時代じゃないんです。そのためうちの会社では、実験的に敷地内で水を浄化させて循環させています。
後藤それはすごい!
結城実はうちの会社って里山にあって、水道も電気もきてなかったんです。だから井戸を掘って水を出して使っています。水質管理も毎日行ってますよ。
後藤メンテナンスは大変じゃないですか?
結城そうなんです。汚水を汲んでこないといけませんから、水質検査の担当者には苦労をかけています。
後藤結城さんは川のみならず、道路についても多方面で提言をしておられますが、私が思うに、昔の子どもたちは、道路も遊び場として使っていたんですよね。
結城まったくその通りですね。さっき、私は川では静的と言いましたが、道路では動的でした(笑)。はじめから遊び場と思ってるから、いろいろやりましたよ。冬に竹ゲタ履いてクルマに飛びついたり。
後藤私もよく遊びました。チョークで落書きしたり、缶蹴りしたり。何せ公園なんてなかった時代ですからね。
結城そういう意味では、川以上に身近な空間だったのかもしれませんね。
後藤もちろん、危険という側面はあるわけなんですが、子どもたちが道路で遊んでるシーン、最近はとんと見かけなくなりました。
結城うちの子も、家の中でゲームばっかりしていましたね。でも一方では、例えば女の子が一人で公園で遊ぶという状況そのものが、今や危なくなっているわけです。危険はクルマだけじゃないんですね。今は子どもたちが、自由に外で遊べる安全性が保証されない時代なのかもしれません。
後藤私どもでもパトロールを強化したり、常に監視しているのですが、やはり完全には排除できない状態です。

人間の方がもっと 優遇されるべき。

後藤結城さんが提言をはじめられたのは、どんなきっかけからなんですか。
結城生活していて、不便と感じることが増えてきたからです。どうして山形ってこんなに不親切なんだって怒ってたら、東京にいる姉に「あんたは山形で生活できないんだから東京に戻った方がいい」なんて言われたこともあります。
後藤具体的には、どんな不便が?
結城帰郷した頃は、自転車と徒歩でどこまででも行っていたんです。ところが次第につらくなってきた。行く場所がことごとく遠いし不便なんですよ。そしてついに、過労で倒れちゃったんです。街の構造が郊外型にシフトしていくにつれ、病院など主な施設も移っていったわけです。それで、やむなく私もクルマを運転する人となったのですが、疑問は残りました。「道路は、クルマが走るためだけのもの?」って。
後藤ふだんのお仕事でも自転車を活用されていたんですか。
結城ええ。季節感とか風の匂いを肌で感じながら移動できるのが好きで、かつてはどこへ行くのも自転車でした。ほとんど趣味に近いものがありましたね。でも、私が不便を感じるのだから、お年寄りや障害者はもっともっと不便を感じているのじゃないかしら。
後藤おっしゃる通りです。
結城そういえば、私は障害者の友人も多いのですが、一緒に歩いてるとよく「ボランティアの方ですか?」って言われるの。本当にさびしい気持ちになります。道路を歩いても、弱者への配慮がまだまだ足りないと感じます。たった数センチの段差でも、車椅子にはつらいものです。他にもドアが開けられない、道路が渡れない等たくさんあります。クルマより、人間の方がもっと優遇されてしかるべきではないでしょうか。
後藤ご指摘の通りだと思います。歩道の幅も、段差も、次第に改善されてはいるものの、すべての道路に行き届いているわけではありません。場所によっては、まだまだ不便を強いている道路があると思っています。
結城今、段差の話が出ましたが、どうして車道と歩道の段差って、あんなにあるんですか。ちょっと理解できません。
後藤これまではマウントアップ型といって、歩道が車道より一段高い形が主流だったんです。でも、それだと横断歩道や車の乗り入れ部で傾斜がついてしまい、車椅子や自転車の利用の際に使いづらい。そこで最近は、場所にもよりますが、フラットやセミフラット型が主流になりつつあります。
結城そういう形を、できる限り早期に実現してほしいですね。
後藤お年寄りや障害者に優しい道路づくりは、今後も重要なテーマになっていくものと思われます。私どもも重点的に対応している状況です。
結城私は何度か車椅子に乗ったことがあるんです。乗ってみて初めて、どんなに大変なことなのか痛感しましたね。あまりにきついから、思わず立ち上がって自ら車椅子を押したぐらい。でも、実際は障害者の方はそんなことできないのですから、これはもう真剣に考えていくしかないのではないでしょうか。
後藤私も車椅子に乗ったことがあります。結城さんと同じように、私も、特に歩道橋のスロープなどはうまく押せなくて立ち上がってしまいました。次の日はものすごい筋肉痛になりましたね。
結城暮らしてる人の生の声を聞く。暮らしてる人の立場で考える。公共物に携わっている方にとって、そういう視点は何より重要なことだと思います。
後藤確かにそうです。私事で恐縮ですが、実は山形工事事務所に赴任するまで、雪の多い地域で暮らしたことはありませんでした。生まれは九州ですし、赴任先もずっと東京以西でしたから。それで昨年の春に山形に赴任したとき、道路の路肩がとても広いなぁと感じたんです。もっと狭くてもいいのでは、とも思いました。でも、冬を経験して、実感としてその意味が理解できた。積雪のため除雪したら道幅が狭くなるから、あの広さでもギリギリなんです。それは実際に自分で経験しないとわからないこと。そこで暮らす人々の視点で考えることの大切さを改めて実感しました。
結城雪は本当に大変ですよ。山形には私の自宅の他に、主人の実家、私の実家があって、それぞれ年寄りだけだから雪かきもできないんです。私たちが手伝うにしても、何かと大変なことが多くて。
後藤それは大きな問題です。高齢者のみの世帯は今後ますます増えていくでしょうから。
結城昔のように地域全体で助け合っていければいいのでしょうが、今は自分のところだけで精一杯というのが実情ですよね。
後藤まちづくり、地域づくりに関してはどのようにお考えですか。
結城まちづくりや地域づくりに携わっている方々を見ていると、本当に努力されているんです。他の地域の視察も積極的になさっていますし。でもそれが、没個性化につながる危険性も否定できない。どうしても似てきてしまうんですね。本来、その「まち」なり地域の個性ってあるはずなんです。あそこで見たから良いという発想じゃなく、その中から独自性を追求していかないと、いずれは日本中の地域が似たり寄ったりになってしまいます。その地域独自の素材を活かすことが「個性」となるのだと思うのですが、その素材そのものが均質化してきている印象は、山形に限らず拭えないですね。もちろん、そうやって努力されている方々がいるのは、私自身はとても喜ばしいことだと思っています。
後藤ということは、その素材というのは元からあるものなんですね。
結城そうですね。あとは、そこに気づくか気づかないかだけです。例えばスイスの赤いトンガリ屋根。あれ、実物を見ればわかりますが、非常に風情があります。しっくり景観に馴染んでいます。なぜなら、その地域の土や石を素材としているからなんですね。すべてがそうある必要はないけれど、個性を継承し、守り育てていこうという感覚は必要でしょうね。

やまがたレトロ館 絵地図の反響は…。

後藤道づくりに関して、今後どのようなことを期待されますか。
結城期待というか…昔から疑問に思っていたのが、どうして道路はまっすぐじゃなきゃいけないの、ということ。もっと柔軟に捉えることができたら、素敵な道路ができるかも、なんて考えてしまうんですよ。それに道路って、気づくと工事が始まってるでしょう。もっと前にわかる方法ってないのでしょうか。
後藤地形など自然的条件や、集落など社会的条件で、カーブになるところもあればまっすぐなところもあります。また、クルマで走ることを想定しますと、あまりきついカーブは作れないなど、道路づくりにはクリアすべきさまざまな条件があるんですね。ただ結城さんがおっしゃるように、道路の計画についてのアナウンスをもっと早めにしたり、複数のプランを選択肢として提示して、その地域にお住まいの方の意見をお聞きするといった方策は可能だと思います。現に今も、徐々にですがそのような取り組みをスタートさせています。ところで、結城さんはNPOの活動にも精力的に取り組まれているそうですが、具体的にどんな活動をされているのですか。
結城正式に認定を受けている活動ばかりではないのですが、一つは「やまがたレトロ館絵地図」を制作した「やまがた歴史環境研究会」ですね。もともとは、建築関係の仕事に携わる人間が自己満足的に建造物を見てまわるだけだったんですが、あるとき、少し前に見た建物がなくなるという状況があったんです。それで危機感を持ち始めて、その文化的価値を市民に伝えていくために発足しました。「やまがたレトロ館絵地図」の反響がかなりあったのは予想外の驚きでしたね。
後藤私も拝見しましたが、驚いたのはそのレトロ館の数。ふだん気づかないでいましたが、かなりあるんですね。
結城多くの方がそう言って驚かれます。私自身も、こんなにあるとは思ってなかったですよ。
後藤将来的には、どのような活動を予定されているんですか。
結城とにかく今は、地図にしてできるだけ多くの人に知ってもらうことが先決。それ以降は、原画展とか、アート関係の方々に自由に表現してもらうなど、多くの人に参加していただければと思っています。

ユニヴァーサルデザインとは?

後藤結城さんが参加していらっしゃるユニヴァーサル・デザイン研究会とは、どのような団体なんですか。
結城ユニヴァーサルデザインについて考えいくことを目的とした団体で、「プロジェクト・ユニヴァーサル・デザイン」と言いまして、こちらはNPO組織として正式な認可を受けています。
後藤ユニヴァーサルデザインって、どんなものととらえていますか?
結城直訳すると「普遍的な問題解決法」。要は、いろいろな人が快適に生きる社会をつくることなんですよ。
後藤それは誰でも参加できるんですか?
結城もちろんです。会ができたきっかけは、別に高尚なものじゃないんです。私たちって、高齢者を抱えながら、自分もまた高齢化している世代。将来的には非常に不安が大きいわけです。けれど、待っていたって誰も助けてくれません。それなら将来の安心を得るために、率先して行政に提言していこうと。基本は、誰もが自立できる基盤づくり。それがユニヴァーサルデザインです。高齢者の方ともディスカッションしながら、その具体的なプランのための研究を行っています。
後藤(ユニヴァーサルデザインに関するリーフレットを読みながら)これは非常にわかりやすいですね。”ヴァー”と表記しているところにもきめ細かさがうかがえます(笑)。
結城こういう考えを持っている人は少なくないと思うんです。ただ、おそらくは、ほとんどの人が方法論を知らないだけなんですね。私の場合は、提言を新聞に投稿したり、市役所に行ってみたり、とにかくがむしゃらに行動する中から活動が広がっていったように思います。こういう活動をしなければ、障害者の方々との接点も生まれてなかったでしょうね。
後藤私たち行政側にとって、利用者の方々の目線に立った社会資本整備は大きな使命です。言ってみればあたりまえのことなんですが、まだまだ十分とは考えていません。PI(パブリック・インボルブメント)など、広く国民の皆様の意見を聞きながら、取り組んでいく必要があります。
結城もっとも、完璧という言葉はないと思うんです。ただ、それに向かって努力しつづけることが大切なんですね。私も、公共事業に携わることがありますから、その難しさがよくわかります。

山形の自然は世界の中でも注目に値するはず。

結城以前、公園づくりのお手伝いをさせて頂いたことがあるんです。寒河江のある住宅地の住人たちから、公園がほしいという要望が出ました。皆さんは、どうせなら自分たちの手で公園をつくろうと思いたちました。で、私がお手伝いさせて頂くことになったのですが、なんと誰も公園のつくり方を知らない(笑)。これではマズイということで、他の地域のさまざまな公園を視察しに行きました。結果、完成したわけですが、あのときのプロセスは貴重な経験でした。他を見ることで、本当に欲するものが見えてくるんですね。
後藤自分たちで公園をつくるなんて、すごいですね。でも、そうやってできたなら、愛着もひとしおでしょう。
結城芝も自分たちで植えたりしたので、まさに自分たちの公園ですよね。そのせいでしょうか、管理もしっかり行き届いているようです。結果的にはコストも低く抑えられるなどメリットは多かったですが、試行錯誤は相当ありましたよ。行政サイドの「見守る」姿勢にも新しいものを感じました。
後藤そういうケースというのは今後、増えていくとお感じですか?
結城あくまでそこに住む方々が一致団結できるかがポイントですから、それさえクリアできればどんどんやるべきだと私は思います。やはり愛着の持ち方が変わってきますから。
後藤さて、本日はさまざまなお話しが出ましたが、結城さんがこれからの山形に期待するのは、どんなことでしょうか。
結城自然を失わないでほしい。これに尽きますね。そういえば大学生の頃、東京から帰ってくるとき、山形の風景を見た途端、涙が止まらなくなったことがありました。やはりどこかで自然を求めていたんでしょうね。
後藤それ、わかるような気がします。私もこちらに赴任したとき思いました。空の青さと山の緑がきれいだし、その山はまさに山形県の名のごとく、幾重にも折り重なるようにそびえているし、何より空気がおいしい。こんな素晴らしい自然を守りながら、山形にお住まいの人たちは地域づくりに取り組んできたのだと素直に感動しましたね。
結城自然を失った場所も、日本には少なくありません。でも、山形には豊富に残った。これは大いに誇れることであると同時に、さらに良くしていくことも必要でしょう。きちんと磨いていけば、世界の中でも注目に値するはずです。
後藤今の言葉を肝に銘じて、道づくり、川づくりに邁進していきたいと思います。
結城山形工事事務所には、以前から各種の施策に前向きに取り組んでいるという印象を持っていました。今後も期待しています。
後藤さらに山形の地域づくりに貢献していけるようがんばります。本日はお忙しい中、ありがとうございました。

結城玲子(ゆうきれいこ)


昭和28年(1953)、山形市生まれ。昭和46(1971)山形西高校卒業後、武蔵野美術大学造形学部入学。卒業後、都内のデザイン事務所、設計事務所を経て帰郷。平成4年(1992)、株式会社クラフト入社。現在、デザイン設計室長として公共製品の企画、開発、製作、販売に関わる。代表的な仕事に、PC一体型トイレ「テクノシリーズ」など。家庭では一男二女の母。

後藤貞二(ごとうていじ)


国土交通省山形工事事務所長。
昭和36年(1961)、大分県生まれ。
昭和62年(1987)、建設省入省。
平成12年(2000)4月、建設省山形工事事務所長。
平成13年(2001)1月より現職。