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河北新報 『論壇』 連載期間1998/01/13~1998/06/23 『景観デザイナー 結城 玲子・車道より歩道に重点を 車に頼らず住める街 』 他

河北新報 論壇 1998年1月13日
景観デザイナー・結城 玲子 『地域の景観を生かそう 低層の街づくりを』

 私は山形市の山形駅前近くに生まれた。家には土蔵があり、その屋根に登っては朝な夕なに山を眺めてた。朝は東の空が明るく染まり、すがすがしかった。夕方には西の空が水色からあかね色、紫色に染まるさまを、夕日が山の陰に沈むまで飽かず眺めていた。
山形市は盆地である。周囲は、安らぎのある山の形だ。京都もなだらかな山を背景に、古い街並みの落ち着いた景観が世界中の人に愛されている。信州にも盆地はあるが、山の形はシャープで透き通った美しさである。山形のゆるやかな山並みとやわらかい緑の田園風景は、人の心を優しくさせる素朴な景観だ。
その美しさに心を打たれた人は多い。芭蕉もそうであった。明治初期に山形を旅した英国の旅行家イザベラ・バード、また「山の向こうのもう一つの日本」と表現した元駐日米大使E・O・ライシャワー氏もその一人である。しかし、経済の発展とともにその美しさは失われつつある。
平成8年、山形県は、景観に関する行政モニター調査を行った。山形県を特徴付ける景観として、7割以上の人が「秀麗な山々」と答えた。次いで河川、果樹園、田園風景と続き、暮らしの場としての自然の美しさを認識しているのがうかがえる。また、廃棄物の散乱や開発事業による自然景観の減少に懸念を示す回答の比率が高い。この結果は、開発型ではなく保全型の県土づくりを望む声が圧倒的であることを示す。
山形市でも地域活性化のために再開発が行われているが、十分な配慮が必要である。残したい自然景観や街並みは保護し、個性として生かして欲しいと思う。
例えば高さ160メートルの新都心ビルを建てる山形西口再開発は、巨大なプロジェクトである。開発の結果次第で、山形のイメージそのものが大きな影響を受けかねない。私は周囲の山並みと色彩に配慮した低層の街づくりを提案し、8年2月に山形市景観条例制定を求めて署名活動を行った。
一軒一軒家を訪ねて話を聞かせていただくのだが、街が変わることすら知らない人が多く、景観にまで思いを巡らす人は少なかった。力不足のため、十分な署名を集めることはできなかったが、景観や環境保全のためには住民の意識の高まりが大切であると実感した。
駅周辺は住々にしてビル街になり、高層化が進みがちである。確かに地価も高効率の良さも考慮しなければならないが、何が一番大切なのかを忘れたくない。山形駅東口は既にビルが建ち並び都会的ではあるが、山形らしい個性は感じられない。また郊外の道路沿いには全国どこでも見られる看板が林立し、激しく自己主張している。山形は俗都会化し始めている。
現在多くの地方で都市化を求め、さまざまな努力がなされている。しかし、結果として、不可思議な建造物が出現したり、逆に街として画一化され、本来の魅力を失ってしまう場合が多い。山形は何かと遅れていると思われがちだが、むしろ恵まれた自然景観を大切にした本物のアルカディア(理想郷)づくりへ、発想を転換する必要があるのではないか。
山形県人はよく保守的で自己主張がないといわれるが、決してそうではない。意思表示をする場が無かった、ともいえる。しかしこれからは、住民が自ら考え、行動していくことが大切だ。行政や専門家に任せきりでは、本来の地域の良さを生かし切れない。ごく普通の市民が気軽に意見を述べることができる場と、そこで真剣に耳を傾ける行政の姿勢が求められている。

河北新報 論壇 1998年2月24日
景観デザイナー・結城 玲子 『車道より歩道に重点を 車に頼らず住める街 』

 6年間の転勤生活を終えて帰郷した知人が、山形市の変わりように驚いていた。車に乗るとどこを走っているのか分からなくなる。自分の家の周りすら見慣れない風景が広がり、まるで現代版浦島太郎だと。山形市に限らず道路の整備が進み、周囲の景観は大きく変ぼうしつつある。道が景観に与える影響は大きい。
新しい道ができると、何もなかった所に突然街が出現する。広く快適な道路沿いに大型店が集まり、アッという間に人の流れが変わってしまう。この図式は今や全国共通のものになり、日本全体の景観が金太郎あめ状態になりつつある。
問題は、景観だけにとどまらない。中心部の道路整備で移転を余儀なくされた人々が、郊外に住宅を設け移動している。山形市の人口は現在約25万5千人だが、10年前と比べて1000人しか増加していない。将来的にも少子化が進み、平成20年においても30万人には至らないと予想されている。にもかかわらず、生活圏の拡大は続いている。
私は現在、山形駅東口に住んでいる。旧市街地であるため、生活基盤は駅周辺から中心街の七日町で、最近までは何かにつけて便利だった。移動手段はほとんど徒歩か自転車で事足りた。遠出や悪天候の際はバスやタクシーになるが・・・。
しかしここ数年で街が広がりすぎ、自転車での移動では済まない。例えば友人宅へ行く、買い物をする、病院へ行く、子供をいろいろな場所へ送る、イベント会場へ行く-等々。これでは私事と仕事の両立が不可能になると、一昨年ついに車の免許を取得した。
山形県の一家庭当たり車保有台数は2.31台で、全国でも比率が高い。街の拡大に合わせ、公共交通機関も整備されるべきだが、道路だけが先行しがちだ。民営バスでは効率の悪い路線が廃止されても仕方がないのかもしれないが、スポーツ施設や病院が郊外に移れば、どうしても足は必要だ。
安定した運行を確保できる路面電車や公営の低床バスがもっと検討されてよい。中心街を循環する路線バスが安価な均一料金で運行されれば、利用率も上がるはず。地球規模で二酸化炭素の削減に取り組もうという時である。自家用車での移動を前提にした街づくりは、時代に逆行している。
高速道路が整備され、内陸と庄内、本県と隣接県のアクセスが便利になった。高速道の開通によって恩恵は計り知れない。だが、メリットもあればデメリットもある。例えば自然景観の破壊である。高速道からの眺めは素晴らしいが、それはあくまで車からの視点だ。逆の視点で高速道を見ると、冷たく巨大な橋脚が人の住む町や川をまたいでいる。道をつくるのに大量の木が伐採され、痛々しいのり面がむき出しになり、胸が痛む。東北には守るべき集落や鎮守の森が多いが、特別な配慮が必要だ。長い年月をかけてはぐくんだものを、安易に失いたくない。
現在の街づくりは、あまりにも車優先に過ぎる。道路は年々立派になるが、反面、高齢者や子供の事故が増え続けている。景観も悪くなる一方だ。道路整備に比例して、人間性豊かな生活が実現したとは思えない。私たちは、これから本格的な高齢化社会を迎える。だれもが、いつまでも車を運転できる保証はない。歩道の整備に重点を置いた、すべての人への優しさを望みたい。ゆとりと潤いのある道づくりは、本当の豊かさと人間性の回復につながってゆくのではないだろうか。

河北新報 論壇 1998年3月20日
景観デザイナー・結城 玲子 『歴史ある建物を生かせ 個性あるまちづくり 』

 個性あるまちづくりという言葉を、よく耳にするようになった。まちの個性とはいったいなんだろう。中心街の空洞化は日を追うごとに深まり、まちの在り方をだれもが考えざるを得なくなった。中心部には中心部の、過疎地には過疎地の深刻な悩みがあり、地元の人によるまちづくりが各地で模索されている。まちづくりは行政が一方的に行うものでもなく、市民が行政に任せきりで行うものでもない。双方の努力があってこそ、良い方向に進むのではないか。
山形市でも近ごろ中心街のしにせの商店や旅館が相次いで閉店や廃業に追い込まれた。地元の人間にとって、慣れ親しんできた街並みが消えていくことは、寂しく残念なことだ。大抵の人は寂しさを感じながらも、「時代の流れだから仕方ない」と考えているようだが、割り切れない思いがする。その流れに身を任せているうちに、街は壊れていくのではないか。とすれば私たちは今、何をなすべきか。
山形市は戦災を受けなかった。そのため、昔のままの町並みが残り、道幅は狭く、史跡も多い。メーンストリートは一方通行が多く、駐車場確保は難しい。車社会にあって道幅と駐車場という二つの条件は、街の存続を左右しているかのように見える。しかし単純に道を広くし、駐車場を随所に配置すればよいかというと、そうとばかりも言えない。
車でわざわざ買い物に来る気にさせるためには、郊外の大型店にはまねのできない、プラスアルファの魅力が必要だ。その魅力がまちの個性だが、空洞化が進むにつれその個性が失われていく。個性を失ってしまえば、いくら道路や駐車場が広くなっても人を集めることはできない。 郊外の商業地にはなくて中心街にあるのは、歴史である。山形市の中心街は十日町から本町、七日町、旅篭町にかけて広がっており、それぞれに古い町並みやエピソードを数多く残している。町屋や蔵、旅籠の面影を残す建物も多く、優れた景観として市民に選ばれているものもある。建物の老朽化や住まう人の高齢化により解体に至ってしまう例も多いが、何とか保存策を考えたい。
古く傷んでしまった建物に手を入れながら住み続けることは難しい。補修に費用がかかり、決して住みやすいとは言えない場合が多いからだ。国の文化財に指定されれば、税制面などで優遇措置も受けられ、維持も少しは楽になるようだが、その数は限られている。文化財として認知されなくても価値ある建物は多い。市町村レベルでその価値を見いだし、保護したり、場合によっては移築することも検討してほしい。壊してしまえば元には戻らない。
区画整理をし、整然とした町並みにすることはたやすいが、ともすればその町の歴史や人間関係までもなくしてしまいがちだ。歴史的背景のある場所で大切に維持されている建物や町名は、それだけで雄弁である。新しく考えられたキャッチフレーズ、しゃれた街灯やベンチなどのストリートファニチャーで飾ることだけが個性ではない。伝統を守っていくこともまた立派な個性である。
さほど必要性があるとも思えない、新しい箱物の建造に膨大な経費をかけるのであれば、むしろ古くても文化的価値の高い建物を生かし、町の歴史館や文化ホールにして地域全体で維持していく方が有意義でないか。それこそが個性であり、訪れる人にとっても、そこに住む人にとっても大きな魅力となるに違いない。

河北新報 論壇 1998年4月21日
景観デザイナー・結城 玲子 『開発から保全に転換を 豊かな自然を次世代へ 』

 私の仕事場は田んぼの真ん中にある。東に面した窓の外には西蔵王と龍王がパノラマのように広がっている。その奥に白く雪をかぶった蔵王がわずかに見え、左手には深い緑のこんもりとした千歳山がある。もう何年も見慣れた風景だ。春には春のぼんやりとした柔らかい表情、夏には夏のくっきりとさわやかな表情がある。四季の移り変わりとともに、光や雲の流れによって変化する景色は、私にとって飽きることのない、いやしであり続けてきた。
その山が近年、急速に変わり始めた。遊園地ができ、工場が広がり、住宅が増え、車がめまぐるしく動いている。みるみるうちにすそ野の緑は激減した。龍山や蔵王は、月山や鳥海山とともに山形を代表する景観である。秀麗な山は財産だというが、開発の波にはいかにも無防備だ。
山形県における自然林保有率は20パーセントを超えており、自然豊かな山形をイメージ付けるものとなっている。環境美化運動も推進され、植栽や森の整備が行われるようになってきた。しかし、そうした努力の反面、はるかに大きな規模で緑が失われていることを見過ごすことはできない。ダムや林道、宅地造成などの開発はまだまだ続いており、酸性雨や排ガスによる立ち枯れも懸念される。
昭和20年代後半に生まれた私たちの世代は、日本の高度成長とともに年を重ねてきた。東京オリンピックに向けた高速道路やビルの建設、電力確保にためのダムや発電所の開発、戦後の復興期から豊かさを享受できる時代へ、何の疑問もなく発展し続けてきた日本。

河北新報 論壇 1998年5月28日
景観デザイナー・結城 玲子 『「不足」「汚染」に方策を危機にひんする淡水資源 』

 私は環境施設の設計という仕事上、景観に携わり、公共空間で使われるさまざまなものをデザインしてきた。しかし、現在私の仕事のエネルギーは、ほとんど公共トイレに向けられている。景観よりもむしろ環境に深く関心を抱くきっかけになったのは、日本トイレ協会との出会いだった。そんな協会の存在を冗談だと思う人もいるようだが、非常にまじめな興味深い集団である。
トイレは文化のバロメーターとはよく言ったもので、最も人間的な施設とも言える。それを考古学、文化人類学、衛生学、建築学、社会学、教育学などあらゆる角度から検討する組織がトイレ協会であるが、そのトイレとかかわる中で、最近考えさせられることが多い。特に水に対し、危機感が募ってきた。
今年4月に発表された山形県環境白書によると、同県を流れる川の汚れは過去5年間で最悪である。主な原因は公共下水道、農業集落排水処理施設、合併処理浄化槽から流れる生活排水である。
県の中央部を流れる最上川は、県民にとり母なる川である。何本もの川が最上川に集まり、深みのあるとうとうたる流れになり、酒田で日本海に注ぐ。その昔、豊かな水ではぐくまれたコメや紅花がこの川を通り、京都や江戸へ運ばれた。
命の川とも言える最上川も、日本中の他の河川と同様、加速度的に汚染が進んでいる。本県でも、冷蔵庫の中のミネラルウォーターを飲む日がいずれ来るかもしれない。
人間は水を使いすぎている上に、水を汚し過ぎているのではないか。日本人は「湯水のように使う」という言葉が示す通り、水は無尽蔵であるという感覚から抜けきれない。下水道の普及率は、文化の高さを示す目安であるかのように思われてきた。だが今は、水洗トイレのあり方に疑問を感じるようになった。
排せつ物を流すのにこんな大量な水を使うのでは、浪費ではないのか。つい先日も下水道整備にダム建設がついてゆかず、支障をきたす恐れがあることが報道されていた。下水道のためにダム建設を推進するというのは不条理な話だが、私たちも下水道に対する見方を変える必要がある。目の前から汚物が消えれば、後はどうでも良いというのは、あまりにも自分勝手な考え方だ。
とりあえず流す回数を減らす努力をするとか、トイレや水まきには中水(雑排水)や雨水を利用する、水は循環させて使う、水洗ではなく他の処理方法も検討するなど、水の無駄を無くすことを心掛けねばなるまい。一つ一つの積み重ねが大切だ。水は無尽蔵でない。今日、水を汚染する原因はあまりにも複雑であり、及ぼす結果は深刻だが、その中の一つがふん尿である。現実に人間が山や川に残すふん尿は、地下水を汚染する原因になっている。実はその背景は、道路の整備があまりにも進んだことにある。
かつて限られた生物にだけしか入れなかった自然にだれもが簡単に行けるようになった。登山者のモラル低下もあり、日本の山に限らず世界中の山が汚染され、問題になっている。自然の浄化能力をはるかに超えた量のふん尿が地下水を汚し、川を汚し、ひいては海を汚している。 世界の人口は2010年ごろ現在の2倍以上になり、淡水資源が不足するだろうといわれる。わずか10数年先のことである。水が汚れることは、私たちの口に入るもののほとんどが汚染されることにほかならない。人間の汚した水や空気は、すべての生物に返ってくる。
健康に生きることができない環境なのに、その上に経済発展があったとしても、私にはむなしく思える。

河北新報 論壇 1998年5月28日
景観デザイナー・結城 玲子 『「不足」「汚染」に方策を危機にひんする淡水資源 』

 

 私は環境施設の設計という仕事上、景観に携わり、公共空間で使われるさまざまなものをデザインしてきた。しかし、現在私の仕事のエネルギーは、ほとんど公共トイレに向けられている。景観よりもむしろ環境に深く関心を抱くきっかけになったのは、日本トイレ協会との出会いだった。そんな協会の存在を冗談だと思う人もいるようだが、非常にまじめな興味深い集団である。
トイレは文化のバロメーターとはよく言ったもので、最も人間的な施設とも言える。それを考古学、文化人類学、衛生学、建築学、社会学、教育学などあらゆる角度から検討する組織がトイレ協会であるが、そのトイレとかかわる中で、最近考えさせられることが多い。特に水に対し、危機感が募ってきた。
今年4月に発表された山形県環境白書によると、同県を流れる川の汚れは過去5年間で最悪である。主な原因は公共下水道、農業集落排水処理施設、合併処理浄化槽から流れる生活排水である。
県の中央部を流れる最上川は、県民にとり母なる川である。何本もの川が最上川に集まり、深みのあるとうとうたる流れになり、酒田で日本海に注ぐ。その昔、豊かな水ではぐくまれたコメや紅花がこの川を通り、京都や江戸へ運ばれた。
命の川とも言える最上川も、日本中の他の河川と同様、加速度的に汚染が進んでいる。本県でも、冷蔵庫の中のミネラルウォーターを飲む日がいずれ来るかもしれない。
人間は水を使いすぎている上に、水を汚し過ぎているのではないか。日本人は「湯水のように使う」という言葉が示す通り、水は無尽蔵であるという感覚から抜けきれない。下水道の普及率は、文化の高さを示す目安であるかのように思われてきた。だが今は、水洗トイレのあり方に疑問を感じるようになった。
排せつ物を流すのにこんな大量な水を使うのでは、浪費ではないのか。つい先日も下水道整備にダム建設がついてゆかず、支障をきたす恐れがあることが報道されていた。下水道のためにダム建設を推進するというのは不条理な話だが、私たちも下水道に対する見方を変える必要がある。目の前から汚物が消えれば、後はどうでも良いというのは、あまりにも自分勝手な考え方だ。
とりあえず流す回数を減らす努力をするとか、トイレや水まきには中水(雑排水)や雨水を利用する、水は循環させて使う、水洗ではなく他の処理方法も検討するなど、水の無駄を無くすことを心掛けねばなるまい。一つ一つの積み重ねが大切だ。水は無尽蔵でない。今日、水を汚染する原因はあまりにも複雑であり、及ぼす結果は深刻だが、その中の一つがふん尿である。現実に人間が山や川に残すふん尿は、地下水を汚染する原因になっている。実はその背景は、道路の整備があまりにも進んだことにある。
かつて限られた生物にだけしか入れなかった自然にだれもが簡単に行けるようになった。登山者のモラル低下もあり、日本の山に限らず世界中の山が汚染され、問題になっている。自然の浄化能力をはるかに超えた量のふん尿が地下水を汚し、川を汚し、ひいては海を汚している。 世界の人口は2010年ごろ現在の2倍以上になり、淡水資源が不足するだろうといわれる。わずか10数年先のことである。水が汚れることは、私たちの口に入るもののほとんどが汚染されることにほかならない。人間の汚した水や空気は、すべての生物に返ってくる。
健康に生きることができない環境なのに、その上に経済発展があったとしても、私にはむなしく思える。