公共トイレ/公園・景観施設
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朝日中学生ウィークリー 連載期間 1998/12/06~1999/02/28 『いちばん愛される場所に ~公衆トイレの話~』他

1998年12月6日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第1回 『気の毒な存在に心を痛める』

 

 ここ10年ほどの間にトイレは驚くべきスピードで進化してきた。例えば多くの便器が様式になり、温水洗浄便座も当たり前になってきた。そうした技術的なこととは別にトイレの「あり方」も、ずいぶん見直されるようになってきたので、これからみていきたい。
私はもともと、公園のベンチやテーブル、標識などをデザインするのが仕事だったが、そういうものの色や形には非常に気を使われているにもかかわらず、トイレはあまりにもかわいそうな存在であることに心を痛めていた。トイレはたいていの公園で暗い、隅のほうにあり、デザイン性のかけらもない。そしてその存在を恥じるように周囲は樹木で囲われ、一層陰気で孤独に見える。中に入ると薄暗く、虫の多いのが気になって、もう逃げ出したい気分。家のそばに公共トイレがある人は、早く壊して欲しいと願う迷惑施設ナンバーワンだった。
しかし、公共トイレは、本当は日のあたる場所に愛される姿で建っているべきだ。食べることと並んで、人間にとって絶対必要なものだから。そこで私は10年ほど前からトイレの調査、開発などの仕事を始め、「愛される姿」とは何か、試行錯誤を繰り返している。
調査に行ったフランスで、街の通りにシンプルでしゃれたトイレを見つけた。お金を入れると自動的にドアがあき、終わるとこれまた自動的に便器や床を洗浄し、閉まる素晴らしさ。フランスへ行ったら使ってみてほしい。

 公共トイレは街なかや観光地、学校などで、だれもがお世話になるものですが、ふだんはあまり注目されることはありません。しかしトイレについてじっくり考えてみると、社会の様々な問題がみえてきます。そうした話を結城玲子さんに連載してもらいます。結城さんは山形市の環境施設の設計施工会社に勤務するデザイナーで、日本トイレ協会会員。中学、高校生3人の子のお母さんです。

1998年12月13日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第2回 『いつもきれいだと人が集まる 』

 トイレをデザイン、設計し、作って納めるのが私の仕事。さらにその後も、空いた時間があればトイレがどうなっているか見に行くようにしている。そんなとき一番つらいのは、公園などに納めたトイレがメチャメチャにこわされているのを見たとき。これはかなりつらい。少しでも快適に使えるよう、楽にメンテナンスができるよう心配りをしているつもりだが、トイレは傷めつけられることが多い。
例えば、イタズラ書き。人の悪口から目にするのもいやになるような絵までいろいろ。器具を壊す、持ち去る。壁に向かって物を投げつける、汚しまくる、よくあんなことを考え付くなあとあきれてしまうほどの無若人ぶり。こんなことをする人たちは、自分の家でも同じことをするのだろうか。トイレを「汚い場所」だと思っているから、汚れた気持ちをぶつけているのだろう。
東京の銀座にあるデパートが、トイレを立派にした。内装に凝って、上質な特別製の衛生器具にし、化粧を直すスペースを設けた。トイレを「用を足すだけの場所」から開放したのである。それだけでたくさんの女性客とその夫、恋人などが店に来るようになったという。いつもきれいだと人は集まるし、汚しにくいものなのだ。
人間は人の見ていないところで何をするかでその真価が問われる。それが凝縮したところが公共トイレなのだと私は思っている。

1998年12月20日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第3回 『暗い穴から立ち上る強烈な臭気』

 幼稚園の息子の遠足についていったときのこと。トイレに行きたいという息子を連れて近くの公衆トイレに入ると、絶句してしまった。目を開けていられないほどの臭気。便器の下には深くて暗い穴がポッカリと開いていたのだ。洋式トイレで育った息子は、においと恐怖で用を足すどころではなくなってしまった。これはいまから15年ほど前の話だ。
現在は下水道や浄化槽が普及し、快適なトイレが多くなってきた。今は日本の7割以上もの人が水洗トイレを使っている。全国の下水道普及率は56%(1997年度末)で地域によってかなり開きがあり、公共トイレは近くに下水道が引かれることによって改築されるケースが多いので、住宅と比べて水洗化が遅れがちだ。それも公共トイレが敬遠される理由のひとつだろう。
それでも、水洗トイレが「万能」というわけではない。日本の公共トイレの歴史は古く、奈良の藤原京跡でも水洗トイレとくみ取り式トイレの跡が発見されているのだが、その後はくみ取り式が主流となり、ふん尿は肥料として畑にまかれていた。このシステムは日本独自のものでムダがなく、リサイクルの原点ともいえる。江戸の町が清潔だったのもこのためだったといわれている。
水で汚物が流されて目の前からなくなってしまうと、それがどこに行くのか、関心がなくなりがちだ。どんな所を通ってどこで処理されるか、一度考えてみると、トイレの使い方も変わるかもしれない。

1998年12月27日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第4回 『心遣いを感じた神戸「市民トイレ」 』

 心に残るトイレがある。神戸が震災に遭う前に国際トイレシンポジウムが開かれ、私は神戸の街を見て歩いていた。観光地として名高い神戸は街並みも美しかったが、それ以上に人を迎える街としての心遣いが素晴らしかった。街を歩いていると、手入れの行き届いた生け垣や住宅に、そこに住む人々の優しさを感じた。特に三宮地区は異人館で有名だが、もともと住宅地なので公共トイレがなかった。普通の住宅に住む人々は、観光客からしばしばトイレを借りたいとお願いされ、断ると庭や道路で用を足されてしまい、困っていたという。新しく公共トイレを作ろうにも場所がなかなか見つからず、費用もかかる。
そこで神戸市は異人館を始めとする公の建物のトイレを開放し、「市民のトイレ」と名づけてだれでも使ってもらえるようにした。やがて商店や喫茶店にもお願いして、1986年には市内の「市民のトイレ」は、17ヶ所にもなった。
私も使わせてもらったが、あまりにも手入れが行き届いていて使うをためらったほどだ。設備は古かったが清潔で、ハーブや生け花が地域の人々によってあしらわれていた。汚さないように気を使ったのはいうまでもない。
現在はトイレ機器が発達し、水洗のボタンがどこにあるか分かりにくいなど、使い方に戸惑うことも多い。トイレの近代化は確かに便利だが、神戸の市民のトイレはそれだけが快適さにつながるものではないことを教えてくれた。

1999年1月10日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第5回 『震災で見直されたくみ取り式 』

 1995年1月、神戸は大震災に見舞われた。当時神戸市は水洗化率が97%を超えており、あらゆる面でトイレの先進地といわれていた。しかしかえってそれが災いし、震災で水が出なくなると市内のほとんどの地域でトイレが使えなくなってしまったのである。
後のシンポジウムなどで、被災者の人やボランティアに参加した人から、トイレでいかに苦労したかを聞いた。
食事や入浴はある程度がまんできるが、排せつは待ったなしだ。建設現場などで使われる仮設トイレが全国から送られたが、道路が寸断されている状況では届けられない。学校や公園に避難した市民は震災直後、水が流れず使用不可になったといれをやむにやまれず使ってしまい、汚物が便器からあふれた。トイレ掃除をした人たちは本当に大変だったという。
時間がたつにつれ、ボランティアの力を借りるなどしていろいろな工夫がなされた。硬い校庭を掘って汚物を捨てたり、プールの水で流すことができるようになった後も水を節約するために、「小」は流し、「大」は新聞紙で包んで捨て、「紙」はまとめて捨てる、という「分別収集」が行われたりしていたという。
都市の生命線(ライフライン)というと、水道、電気、ガスだが、トイレがいかに重要な存在であるかは、忘れがちだ。自治体などでは、災害時の備えとして食料や飲み水の準備はしていたが、トイレの大切さについてはこの震災で気づいたようだ。くみ取り式が見直され、公共トイレに限っては普段は水洗でも災害時にはくみ取り式にできる構造にしようと、マニュアルが全国に配られている。
震災をきっかけに、トイレのあり方が見直されるようになったのである。

1999年1月17日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第6回 『色や材質に工夫して学校に憩いを』

 このごろ学校でトイレに行かない中学生が増えているという。なかには一日中がまんして1回も行かない人もいる。なぜなのだろう。
学校のトイレが老朽化していて掃除をしてもきれいにならず、自分の家と違いすぎるというのもひとつの理由だろう。しかしある調査によると、トイレに行くこと自体がはずかしい、バカにされるのではないかという不安が主な理由のようである。
すでに小学校において、学校で便意をがまんすると答えた子が80%もいる(1996年、北海道旭川市での調査)。こうしたことが原因で小学生のうちから重症の便秘になり、体調を崩したり、不登校になる人が増えているという。食べたら排せつするのは当たり前のことだ。
学校のトイレを施設の面から考えてみると、公立の小・中学校の建物の半数は建築後20年を超えており、世間のトイレ進化のスピードに遅れているといえる。私も何年か前まで親としてトイレ大掃除に参加していた。どんなにがんばってこすっても一向にきれいにならない床やタイルの汚れに疲労感を感じた。
それでもこのごろ、学校のトイレをきれいにする動きがみられるようになってきた。一日の大半を過ごす学校で、トイレの存在は重要だ。行かずにすむ問題ではない。学校のトイレも色彩や材質に気を使って、明るく楽しいトイレにする工夫が欲しい。なにも豪華である必要はない。ただ用を足すだけでなく、くつろげる雰囲気にしようと思えば、できることはたくさんあるはずだ。

1999年1月24日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第7回 『障害を持つ人に喜ばれる改造を』

 障害者施設に介護のボランティアに行くことがある。障害者というと特別な人と思うかもしれないが、障害をもったいきさつを聞くとひとごとしてとらえられなくなる。ある日、交通事故やスポーツの事故などで突然、体が不自由になる。昨日まで出来ていたことが今日はできなくなってしまう、というのはだれにでもおこりうることだ。
それで障害者とトイレについて関心をもったのだが、いわゆる障害者用の、車イスで使用できるトイレがどうあるべきかが、悩みの種だった。私自身が車いすに乗って試してみても、思わず立ち上がってしまうなど、どうも実感がわかない。
介護体験をしていても、食事や散歩などは手を貸すことができても、排せつ介護はかなりの信頼関係がない限りさせてもらえない。話を聞かせていただいたり、服を着たままどうやって排せつするかやってみてもらったりした。すると障害そのものが百人百様で介護を一人ひとりに合わせて行わなければないのと同じように、あまりにも人によってやり方が違うので、かえって悩みは深くなってしまった。
ある女子中学生は生まれたときから障害をもち、母親にあらゆることを介護されて生きてきた。ところが家のトイレを彼女のために改造してもらったことによって、自分ひとりでトイレにいけるようになった。介護されて生きることを当たり前と思っていた自分が、自立できるという大きな喜びを感じた出来事だった、と彼女は話していた。
排せつ行為を人の手を借りてすること。それを自分の身に置き換えて考えれば分かる通り、排せつは人間の尊厳を支える行為なのだ。トイレを変えることが人生の転機になるなら、私は喜んでその手伝いをしたい。

1999年1月31日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第8回 『利用者に好評の車いす用マップ』

 私の友人に、障害者が自立するためのボランティアをしている人がいる。パソコンを使って仕事をする手助けをしているのだが、彼女から車いす用トイレが街のどんな場所にあるか尋ねられた。
かつては障害があると施設に一生お世話になったり家族に介護されたりするのが普通だったが、いまは体が不自由でも自力で生きようとする人が増えている。趣味や仕事のためにどんどん外出しようという意志をもっている人も多い。現在、それをはばんでいる最大の障壁はトイレかもしれない。なんとか自力で外出できても、使えるトイレがなければ困ってしまうものだ。
車いすのまま入るためには、まず十分なスペースが必要だ。入り口も十分な幅が必要であるし、内部で方向転換をしたり介護者も一緒に入るとなるとふつうのトイレブースの2倍のスペースが欲しい。また、便器も特殊な高さだったり、手すりがついたり、水を流すボタンにも工夫が必要だ。そう考えると、車いす用トイレはどうしても高価になってしまう。予算の関係もあって、街のなかにはなかなか増えないのだ。
そこで私は車いす用トイレが街の中のどこにあるのか調べて地図を作ることにした。講演や公民館はもちろん、デパート、スーパー、ホテルなど自由に使える車いす用トイレを探し、実際に行って見て厳しく調べた。
すると広さは十分でも入り口が狭くて入れなかったり、ドアを開けると物置になっていたり、かぎがかかってしまったまま、というのもあった。そんなところは地図から外したり使えるようお願いしたりして、苦労の末やっと地図が完成した。多くの人に利用され大好評だ。みなさんも自分の街を調べて作ってみてはどうでしょう。

1999年2月7日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第9回 『「道の駅」のなかでさりげなく美しく』

 道路網が拡大し、旅行にビジネスに、道路を利用する人の数は増え続けている。そんななかで、高速道路を使ってドライブすると意外に困るのがトイレだ。電車と違って車にはトイレがないため、時々トイレ休憩が必要になる。だが道路そのものの整備に比べれば、トイレの整備は遅れがちだ。
それでも、このごろはすてきな「道の駅」が増えてきた。「道の駅」とは、鉄道に沿って駅があるように、道路に沿って増えつつある休憩施設のことだ。
やっと見つけたトイレがきれいなら救われた気分になる。旅行中ならばなおのこと。スッキリ気分で、その土地のおいしいものを食べたりおみやげを買ったりするのも楽しくなる。逆にきたなかった場合など、トイレひとつでその土地のイメージダウンにつながることも少なくはない。観光地にとってはばかにできない存在だ。
北海道には、広大な地域を移動する人たちのためのトイレガイドブックがある。東北などは寒さによる凍結の心配があるので、冬は閉鎖しているところもある。気をつけなければならない。
車の中からトイレを見つけるのは簡単なことではない。あれかな、と思うと通りすぎていることもあるので、目だって欲しい。といって、トイレをアピールしすぎているのも入りにくい。道の駅のトイレは、景観の中でさりげなく、美しく、快適であって欲しい。

1999年2月14日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第10回 『河川敷の条件に合った水洗式を開発』

 静かに流れている川は心を和ませてくれるが、天候によっては洪水をもたらし、人の命を奪うこともある。そのため各地で河川改修が行われるようになった。その結果、堤防の内側(河川敷)が有効に使えるようになって、例えば緑地になったりサッカーや野球ができたり、キャンプまでできるところもある。
私がトイレの調査を始めたころ、公共トイレのレベルは全体的に低く、驚きあきれることばかりだったが、特に疑問に思ったのは河川敷にあるトイレだった。どこへ行っても仮設の四角い箱型で、くみ取り式なのだ。においもひどいし、「愛される場所」からは程遠い。
後日、私はその深い理由を知った。洪水のような緊急時には、水とともにいろいろなものが流されないよう、河川敷にあるものは撤去しなければならない決まりだ。それでトイレも仮設方式にならざるを得なかったのだ。トイレが流されて橋脚を壊したり汚物をまき散らしたりしては困るのだから。
なるほどと納得しながらも私は従来の仮説トイレに満足できなかった。社内で検討を重ね、一味違ったトイレを開発した。すぐ撤去できる仮設方式でありながら水洗式で、汚水を川に放流しない環境保全型のトイレだ。その方法については、次回、山のトイレを考えながら説明しよう。

1999年2月21日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第11回 『「普通の生活」が尾瀬の水を汚染する』

 私たちが川のトイレで模索した環境保全型のトイレは、流した汚物を水をためてくみ取る方式だった。それをさらに進化させ、自然エネルギーを利用した水循環型トイレを提案したい。
水循環型は、雨水や沢水を集めて流し、汚れた水と汚物は循環型で高度浄化、再び便器に戻して使う。その動力は太陽光や風力から得る。自然条件によって動力の確保が難しいなど課題はあるが、汚水を排出しないことが重要なのだ。
全国でも有数の湿原、尾瀬は美しさゆえに訪れる人が多く、山小屋から出る生活排水やし尿による水の汚染に長い間苦しんできた。そこで現在はすべての山小屋に合併浄化槽が設置されている。これにより汚水の垂れ流しは改善されたが、浄化槽で処理されても、もとのきれいな水には戻らない。一見きれいだが養分の残った水が浄化槽から排出されたため、ミズバショウが肥大化するなど湿原の植物の植生を変えてしまったのだ。自然は非常にデリケートだ。というよりも人間がズボラすぎるのかもしれない。
尾瀬ではついに昨年から車での入山規制を始めた。汚染に対応しきれないためだ。また景観に対する配慮やトイレに行く回数を減らすため、飲料用の自動販売機もない。シャンプーや石けんの使用を自粛してもらうなど協力も求めている。
こうした尾瀬をめぐる人々の努力から、こうまでしないと自然を守ることなどはできないと知り、私は自分の生活を深く反省した。

1999年2月28日 いちばん愛される場所に~公衆トイレの話~
第12回 『山を汚さないため整備と自覚を』

 日本の国土は70%が山だが、その多くは環境汚染に泣いている。道路が整備されたことにより、比較的高い山でも車で手軽に行けるようになったからだ。観光バスが大量の人間を運び、多くの人が山へ入る。日本人は便利な生活に慣れてしまったせいか、自然の中でも快適性を求めがちだ。しかし、山はそういった人間を受け入れる態勢にはなっていない。
少し前まで、山に登る人は水分を控えたという。自然の中で用を足す回数を減らすためだ。しかし現在はどこへ行っても自動販売機があり、飲み物を簡単に手に入れることができる。すると数が少ない山のトイレは長蛇の列になってしまい、その外で済ましてしまうことも多い。
富士山はいたる所で、し尿で汚染され、においだけでなく沢水が飲めないほどになってしまった。富士山だけではない。世界遺産に登録された白神山地や屋久島なども訪れる人が増え、汚染が始まりつつあると報告されている。
山のトイレは雪に閉ざされたり水や電気がなかったりするので設置が難しい。それでも最近は、新しい取組みが見られる。し尿の焼却やコンポスト(たい肥)化、微生物で分解する方法もある。山岳会の人がし尿を背負って下山したり、自分の「モノ」は自分で持ち帰る運動も始まっている。
とにかく、貴重な水源である山を汚さないこと。そのために一人ひとりの自覚が大切なのはいうまでもないだろう。